歌手の本田美奈子.(ほんだみなこ)さん。
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アイドル歌手としてデビューし、日本レコード大賞新人賞を受賞。その後ミュージカルを中心に活躍するも、2005年急性骨髄性白血病で永眠されました。
今回は本田美奈子.に夫はおらず生涯独身だった…熱愛や当時の彼氏もまとめた
という事で、本田美奈子.さんの結婚や熱愛、当時の彼氏について情報をまとめました。
本田美奈子.に夫はおらず生涯独身…
本田美奈子.さんは2005年11月6日に、38年という短い生涯を終えています。
まずは本田美奈子.さんの結婚についてわかっている情報を見ていきましょう。
本田美奈子.の夫、結婚は?
本田美奈子.さんの享年は38歳ですが、生涯において一度も結婚しておらず、夫もいませんでした。
1985年、17歳で東芝EMIから「殺意のバカンス」でデビューした当初、
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二十歳までに結婚したい
と、結婚願望について語っていた本田美奈子.さん。
熱狂的な男性ファンが多かったため、婚姻届を持って楽屋に訪れる人がいたくらいの人気でした。
なので、お相手にはことかかなかったと思うのですが…
本田美奈子.さんは同期デビューに
- 中山美穂さん
- 南野陽子さん
- おニャン子クラブさん
- 斉藤由貴さん
- 浅香唯さん
- 井森美幸さん
- 森口博子さん
と、そうそうたるメンバーがそろったアイドル全盛期、85年は「第2期黄金世代」と呼ばれるそうです。
が、ご本人は「演歌歌手」を希望していたほど、新人時代から歌唱力がずば抜けていることで有名でした。
そして、「アイドル歌手」とよばれることを嫌い、プロ意識の高いアーティスト然としたところがありました。
秋元康さんにダメ出し⁉
デビュー翌年に秋元康さんの作詞で「1986年のマリリン」をリリース。
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ヒット曲があったとはいえ、デビュー1年そこそこの新人が



もっと色っぽい歌詞が歌いたい
と注文をつけるという直球勝負。
秋元康さんも、そこが面白いと思ったんでしょうね。
とくに怒ることなく、ハリウッド女優のマリリン・モンローをモチーフに作詞を完成させました。
楽曲もさることながら、セクシーな振り付けにへそ出しルックというのも本田美奈子.さんのアイデア。
これは、当時ステージの振り付けや衣装を参考にしていたアメリカの歌手・マドンナの影響だったそうです。
この曲は本田美奈子.さんの代名詞ともいうほど、大ヒットすることになります。
歌手という仕事にこだわりとプライドを持っていた本田美奈子.さん。
- ロンドンでアルバムレコーディング
- 欧米のアーティストたちから楽曲提供
- QUEENのブライアン・メイさんプロデュースのシングル「CRAZY NIGHTS/GOLDEN DAYS」をリリース(1987)
- ロックバンド「Minako With Wild Cats」を結成(1988)
常々公言していたのが



アイドルじゃなくてアーティストと呼ばれたい
ともすると「生意気」とも言われるストレートな性格は、反感を買うこともありました。
華奢でキュートな、まさに「アイドル」といったルックスからは「異端」としか思われなかったんでしょうね。
セリフだけが独り歩きするため、ユーミン(松任谷由実さん)がラジオで



本田美奈子.さんがアーティストなら、私は神だよ
とバッサリ切り捨てたという伝説があるほど。
ですが、「ただの生意気」ではなく、「真面目でひたむきな努力の人」であったからこその一面も。
バンドの失敗経験などから一時期は迷走しましたが、新たな挑戦で復活。
豊かな地声を活かして、ミュージカルへと活躍の場を広げていった本田美奈子.さん。
裏声を使った高音域の表現が苦手だったため、ボイストレーニングにも通うようになりました。
課題に対して、レッスンで注意を受けたところは次に必ず直してきたそうです。



かなりの練習量だと思います。できそうでできない偉大なこと
このたゆまぬ努力が、オペラのアリアなどを含むクラシックアルバムをリリースする道を開くことにも繋がりました。
そして、1万5千人の応募者から、オーディションで勝ち取った「ミス・サイゴン」のヒロイン・キム役。
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舞台中にセットで右足を挟まれ、指4本を骨折しながら、劇中歌「命をあげよう」を歌い上げたことも。
大量に出血し、激痛をこらえながら第2幕への出演を切望していましたが
(ダブルキャストの)入絵加奈子さん、もうすぐ到着します!
というスタッフの声を聞いて、泣き崩れたそうです。
それくらい、発言の裏には並々ならぬ仕事への情熱と覚悟があったということでしょう。
「20歳までには結婚したい」と語っていた少女も、いつの頃か結婚を封印する発言をするようになりました。



私は歌と結婚したから今生では結婚できないの
一見、さみしい、あきらめの発言にも聞こえますが、おそらくご本人は清々しく思っていたのでは…
それだけ素晴らしい仕事に恵まれて、今世はそこに全力を注げる幸せ。
一人の女性としての幸せよりも、「歌手・本田美奈子.」としての幸せを選んだ…と言っていいのではないでしょうか。
本田美奈子.の熱愛情報もまとめた
本田美奈子.さんの熱愛情報も見ていきましょう。
本田美奈子.はどんな恋愛をしていた?
「歌」にすべてを捧げた人だったが、病を患ってからは、恋愛を超えた慈愛に
1986年発売のアイドル雑誌「平凡」で〝美奈子5箇条〟なるこだわりをコメントしていました。
美奈子5箇条
1.カラーは黒、白、赤で決まり (自分のような顔にはハッキリした色が映える)
2.いつだって美奈子はオリジナル (ひとと一緒っていうのはとにかくイヤ)
3.映画やビデオの勉強も忘れずに
4.ともかく好きなものを自由に(似合わないからと決めつけない。いいと思えば馴染んでくるもの)
5.恋ができたらもっと素敵、かな
19歳のころは「このごろ彼氏がほしいなぁ、ってすっごく思う」とコメントしています。



美奈子だけを好きなヒトとメルヘンみたいな恋がしたい、そしたら、また少しステキな女のコになれるかもしれないね
現実的には仕事でそれどころではなかったようで「今のところぜーんぜんムリ」とも。
10代の女の子の理想がぱんぱんに詰まってる感じですね。
「歌と結婚した」と公言してからは、情熱のすべてを歌に注いで駆け抜けた本田美奈子.さん。
白血病を患ってからは、隠れていた「慈愛にあふれる」女性の貌がたびたび感じられました。
同時期に、同じ血液のガン「白血病」と診断され入院していたお笑いコンビ・カンニングの中島忠幸さん(右)。
出典:https://travel-life-magazine.com/nakashima-tadayuki
おふたりは、手紙を送りあって、お互いを励まし合っていました。
本田美奈子.さんは中島さんへの手紙の中で、



(病気になったことで)自分がいかに人から愛されていたかを思い知った
と、述べていたそうです。
感謝の気持、普遍の愛情を素直に表現するようになっていった本田美奈子.さん。
お見舞にくる母親を常に気にかけ、自分のことよりも母の体調を気遣いました。
一時退院の時には、医療関係者に感謝の気持ちを込めて、アメイジング・グレイスを披露。
これが、生前に人前で歌った最後の歌唱となってしまいました。
「アメイジング・グレイス」とは
イギリスの牧師ジョン・ニュートン の作詞による賛美歌。「素晴らしき神の恵み」「感動をもたらす恩寵」などを意味し、アメリカでは「第二の国家」とよばれるほど、最も親しまれる愛唱歌。
この曲を収録したベストアルバムは、逝去後に売り上げが激増し、オリコンチャート10位以内を記録しています。
本田美奈子.さんがリリースしたクラシックアルバムで編曲を担当した、井上鑑(いのうえあきら)さん。
彼が、本田美奈子.さんの入院中に復帰第一作の楽曲をプレゼントしていました。
当時福山雅治さんのライブツアーに同行していた彼がツアーのバンドメンバーに声をかけデモDVDを作成。
歌詞を載せない状態で福山雅治さんが歌ったDVDを貰った本田美奈子.さんは、感激して泣いてしまったそう。
というのも、ふたりは福山雅治さんがデビュー当時、母の店から出てきた本田美奈子.さんを偶然目撃。
当時すでにスターだった本田美奈子.さんを見た感激で、福山雅治さんはずっと覚えていたそうです。
ただ、本田美奈子.さんにとっては、知らない新人のはずなので、覚えていないだろうと思っていたとか。
しかし、本田美奈子.さんはデビュー当時から福山雅治さんを応援するファンだったそうです。
必然を産むための偶然な出会いだったんでしょうか?
そして、デビュー当時から公私ともに二人三脚で芸能界の荒波を乗り越えてきた所属事務所社長・高杉敬二さんは
どんなに苦しくても笑顔を絶やさなかった。人の幸せばかり思い続けた無私の人でした
と、本田美奈子.さんの人物像を語ります。
無菌室で苦しみや痛みと闘いながらも、常に周りには笑顔で明るく接していたそうです。
生涯独身で子供も持つことはなかった本田美奈子.さん。
それでも子どもが大好きだったそうで
- 「ミス・サイゴン」の楽屋で子役のこどもを我が子のように可愛がっていた
- ファンクラブの会合にファンが子供を連れていくと大喜びしていた
- 姪っ子や甥っ子には「ママ」と呼ばせて愛情を注いだ
1つのことを貫くには、1つ手放さなければいけない…そんなジレンマが感じられるエピソードです。
もしも病が完治する未来があったなら、遅くても幸せな結婚をして子供をもつこともあったかもしれませんね。
本田美奈子.の当時の彼氏は?
本田美奈子の交際相手は元・光GENJIの諸星和巳?!
本田美奈子.さんは、1990年に写真週刊誌に熱愛をスクープされたことがあります。
時代の寵児だった元「光GENJI」の諸星和己(もろほしかずみ)さんがその人です。
syuttenn : https://www.lealeaweb.com/feature/21096
諸星和巳さんプロフィール
- 1970年8月12日生まれ (54歳)
- 静岡県富士市出身
- アイドルグループ「光GENJI」の元メンバー
- A型
- ハワイ在住
アイドルとして一時代を築いた諸星和巳さんは、モテモテで自他共に認めるプレイボーイ。
ジャニーズ事務所始まって以来の「問題児」と言われるヤンチャが魅力の男性でした。
アイドル全盛期で、歌番組の多かった当時は、共演した番組中に連絡際の交換が密かにおこなれていたそう。
実は、諸星さんは本田美奈子.さんのファンクラブに入会していたほどの大ファンだったそうです。
ともなれば、いつもよりかなり積極的にアプローチしていたかもしれませんね!
番組で共演することの多かったお二人も、そのうち交際へと発展することになったようです。
一見ヤンチャに見せて実は繊細なふたり、おそらくかなり気が合ったのではないでしょうか。
結局、本田美奈子.さんとは破局と復縁を繰り返して1987年〜2002年頃まで、約15年も交際が続いていたんだとか。
1990年10月には、週刊誌(FRIDAY)が諸星和巳さんと本田美奈子.さんの熱愛記事が掲載されます。
出典:https://www.xn--u9jy52gkffn9q8qbux6ab4xi9c4wsx57a.com/honda-minako-husband#google_vignette
ふたりが、諸星和巳さんの自宅アパートから一緒に出てきて車に乗り込む瞬間を激写。
諸星さんは手練れのプレイボーイで、週刊誌記者をまくために、事務所の後輩を影武者に使っていたことも。
なので、なかなか現場を抑えることは難しかったようですが…気が緩んでいたのでしょうか?
破局と復縁を繰り返して…とはいえ、長年付き合っていたと言われるお二人。
交際初期の段階で、諸星和巳さんは「結婚」を許してもらうべく事務所に直談判していたと噂されています。
が、諸星さんの素行不良を警戒した本田美奈子.さんの事務所サイドは、関係を認めなかったといいます。
一方、本田美奈子.さんの所属事務所社長の娘さんは、諸星和巳さんの後輩に当たる風間俊介さんと結婚されています。
出典:https://mayuri.hatenadiary.com
その他の共演情報などを見ても、事務所間の関係はそれほど悪くなかったとも思えますので…
事務所の反対だけではない、何かの事情があったのかもしれませんね。
最終的には、諸星和巳さんの女癖の悪さに、本田美奈子.さんが愛想を尽かして破局と言われています。
そして、破局から4年後の2005年に本田美奈子.さんが亡くなっています。
そのため、おそらく諸星和巳さんが最後の彼氏だったのだろうと推測されているわけですね。
諸星和巳さんが出版した本の中で、「歌と結婚したから一生結婚しない」と発言している箇所があります。
18歳の時に唯一結婚を考えた女性がいる、と発言して、



その人は恋人であり姉であり同志であり、最も信頼できた
この発言は、日テレの「有吉ゼミ」でもされており、スタジオでは名前も発表。
放送では「ピー」音で隠されていましたが、元アイドルでの方でスタジオでは



えー!!!
と驚きの声が上がったそうです。
実際に、本田美奈子.さんは諸星和巳さんの3歳年上ですし、元アイドル…。
「その人」は、やはり本田美奈子.さんのことなのではないでしょうか?
本田美奈子.さんの葬儀にこそ出席してはいませんでしたが、入院していた東京慈恵医大病院にはお見舞いに駆けつけています。
また、諸星さんも、未だに独身を貫いています。
それは、本田美奈子.さんを想って…というのもあるかもしれませんが、



目の前から大切な人がいなくなることに恐怖を感じる
と、グループ解散時のとりまきが消えていった際の発言ではありますが、本田美奈子.さんの暗示かもですよね。
それに、二人して
歌と結婚したから現実の結婚はしない
と発言しているあたり、結婚しない理由がここに集約されているようにも感じられます。
大好きな「歌」という共通の大きな絆があったからこその選択かもしれませんね。
まとめ
今回は本田美奈子.に夫はおらず生涯独身だった…熱愛や当時の彼氏もまとめた
という事で、本田美奈子.さんの結婚や熱愛、当時の彼氏ついての記事をお届けしました。
- 本田美奈子.さんは仕事に対し、プロフェッショナル精神がすごく仕事に注ぐ情熱を振り絞って短い生涯を駆け抜けました。それゆえ、現実世界での結婚もされておらず独身を通していたようです
- 本田美奈子.さんは「歌と結婚した」と発言し、自分のことよりも周りの人を大切にする慈愛に満ちた後半生でした
- 本田美奈子.さんの「最後の彼氏」と言われるのは元・光GENJIの諸星和己さん。お二人の交際は15年とも言われていました
以上の内容がわかりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。