作家・作詞家の伊集院静(いじゅういんしずか)さん
CMディレクターから作家へ転身し、「受け月」「機関車先生」などで直木賞を受賞するなど活躍されてきましたが、2023年11月24日に73歳でこの世を去りました。
今回は伊集院静の前の奥さんは夏目雅子で不倫の末の結婚だった!最初の妻についても調査!
という事で、伊集院静さんの結婚や相手の旦那さんor奥さん、子供について情報をまとめました。
伊集院静の前妻は夏目雅子!
伊集院静さんの前妻で2人目の妻・夏目雅子(なつめまさこ)さん。
夏目雅子さんはその生涯も相まって、「伝説の女優」と呼ばれています。
プロフィールは次の通りです。
旧姓…小達雅子(おだてまさこ)
生年月日…1957年12月17日
没年月日…1985年9月11日(27歳没)
出生地…東京都渋谷区宮代町(日本赤十字社中央病院)
出身地…神奈川県横浜市中区山手
死没地…東京都新宿区信濃町(慶應義塾大学病院)
身長…164cm
血液型…B型
出身校…東京女学館小学校、東京女学館中学校・高等学校、卒業東京女学館短期大学フランス語専攻(中退)
夏目雅子さんは27歳の若さで急逝されています。
夏目雅子さんの生涯についてもまとめました!
夏目雅子の生涯
夏目雅子さんの生涯をご紹介します!
夏目雅子の出生~女優として大成するまで
1957年12月17日、夏目雅子さんは東京・六本木2丁目の輸入雑貨「亀甲屋」の娘として生まれました。
小学校から短大(中退)まで私立・東京女学館だったことを踏まえると、恵まれた経済環境にあったようですね。
夏目雅子さんは小学校の頃から俳優になることを夢見ており、1976年にテレビドラマ「愛が見えますか…」のオーディションでヒロイン役を勝ち取り、俳優デビューを果たします。
1977年には、山口銀行の広告として採用され、カネボウ化粧品「クッキーフェイス」のCMで注目を集め、芸名を「夏目雅子」に改名。
このCMで一世を風靡した夏目雅子さんは、その後、
映画「鬼龍院花子の生涯」「時代屋の女房」「魚影の群れ」等
などに出演し、さらなる人気を博しました。
日本アカデミー賞では、なんと最優秀主演女優賞を3回、同助演女優賞を1回受賞!
快進撃を続ける夏目雅子さんでしたが、27歳だった1985年に事態が急変します。
夏目雅子が白血病を発症し、亡くなるまで
夏目雅子さんは1985年2月上演の舞台「愚かな女」のヒロイン役に抜擢され、精力的に稽古の打ち込んでいました。
ところが、この頃から、
激しい頭痛
など、身体に異変が起き始めます。
日が経つにつれ不調を隠し切れなくなった夏目雅子さんは、共演者である西岡徳馬(にしおかとくま)さんの説得もあり2月15日に慶應義塾大学病院へ入院。
検査の結果、
急性骨髄性白血病
と、診断されました。
夏目雅子さんへは「極度の貧血」とのみ告げられ、病名は伏せられたのだそう。
約7ヶ月にわたる闘病生活では、
髪が全て抜け落ち、吐き気、倦怠感、めまい、眼底出血
と、抗がん剤の激しい副作用に悩まされますが、夏目雅子さんは耐え抜きます。
幸い治療によって、白血病の症状が消え、いわゆる「寛解(かんかい)」状態に入りました。
ところが同年8月中旬、
風邪を引き、免疫力が弱っていたために肺炎を発症。
高熱にうなされ続けたものの、それでも一時的に熱が引き、退院できるのではとの希望もあったそうです。
しかし、9月9日から再び高熱となり、9月11日10時16分に27歳の若さで急逝。
臨終の言葉は、
はやく・・・沼田に帰りたい
だったそうです。
俳優への復帰を望んでいた夏目雅子さんでしたが、ついに叶うことはありませんでした。
夏目雅子の死後、母と兄は基金を設立
夏目雅子さんの母・小達スエ(おだてすえ)さんは、白血病に対する新薬に脱毛の副作用があることから、当初新薬での治療を反対されていたのだそう。
夏目雅子さん亡き後、
髪の毛のことなど気にせず、私が最初から新薬で治療をさせていたら…
と、長らく後悔を口にされていたそうです。
ただ、当時最終手的に使用され効果を発揮した新薬は、死亡率も高かったため、決して小達スエさんの判断が誤っていたわけではありません。
夏目雅子さんが亡くなって5年ほど経った頃、兄の小達一雄(おだてかずお)さんは、
脱毛を怖れて、白血病の新薬の治療を受けない人たちがいる
という事実を知ります。
その時、夏目雅子さんの闘病中にウィッグ(かつら)を用意していたことを思い出し、
ウィッグを無料で貸し出す事業を始めよう
と、決意。
小達一雄さんは母親の小達スエさんとともに「夏目雅子 ひまわり基金」を設立しました。
2人はウィッグの無料貸し出し事業に尽力。
残念ながら2008年に小達スエさんは亡くなりましたが、小達一雄さんが引き続き事業を継続し、現在に至るまで毎年500~700人ほどにウィッグを無償で貸し出ししているとのこと。
夏目雅子さんのご遺族が、同じ病や副作用で苦しむ人々のために精力的に活動されていることがわかりました。
伊集院静と夏目雅子は不倫の末の結婚だった
伊集院静さんと夏目雅子さんの結婚にまつわる情報をまとめました!
伊集院静と夏目雅子は、7年間の不倫の末に再婚
1984年8月27日、伊集院静さんは夏目雅子さんと再婚されました。
ただ、2人の結婚は、
7年間の不倫関係の末の再婚だった
ということが判明しています。
詳細を見ていきましょう。
伊集院静と夏目雅子の出会いと再婚
1977年、当時27歳だった伊集院静さんは、カネボウ化粧品の「クッキーフェイス」のCM撮影で俳優・夏目雅子さんと出会いました。
夏目雅子さんは、このCMを機に一躍人気となり、後に俳優として確固たる地位を築き上げます。
そして、このCMでの仕事を機に出会った二人は間もなく不倫関係になり、伊集院静さんは家を出ました。
そして、1980年に1人目の妻と離婚し、1984年に夏目雅子さんと再婚。
写真は新婚生活について語る夏目雅子さんで、本当に幸せそうな笑顔を浮かべておられます。
ただ、2人が結婚するまで、伊集院静さんは俳優・桃井かおり(ももいかおり)さんとも交際関係にあったのだとか。
三角関係に危機感を抱いていた夏目雅子さんは、桃井かおりさんに伊集院静さんが奪われないよう、結婚を決意したとされています。
現代の芸能界であれば大スキャンダルですが、伊集院静さん、夏目雅子さんともにこのことを悪く言う声は聞かれないですよね・・・。
再婚後、間もなく夏目雅子が白血病を発症
7年間の不倫関係を経て、ようやく夫婦となった伊集院静さんと夏目雅子さんでしたが、
結婚してから僅か5か月後の1985年2月、夏目雅子は急性骨髄性白血病と診断
夏目雅子さんは、治療・療養を開始してから8カ月後の同年9月11日、肺炎を併発し27歳の若さで帰らぬ人となりました。
伊集院静さんは当時を振り返り、
アメリカの病院なら治る可能性が高いことは知っていたが、その莫大な費用が用意できない自分が情けなかった
と、明かしていました。
そのような後悔もあってか、夏目雅子さんを亡くしてからの伊集院静さんは完全に自暴自棄になり、
借金、ケンカ、ギャンブル、酒
と、約1年間、荒廃した日々を送っていたのだとか。
そんな不摂生な生活の末、アルコール中毒となり入院してしまいます。
以降は周囲の支えもあって、なんとか作家活動へ復帰。
長らく夏目雅子さんとの日々を封印してきた伊集院静さんですが、2011年3月11日に発生した東日本大震災で悲しむ人々の心を少しでも和らげるために、
自分が雅子さんを亡くした時にどうだったかを語っておくことは、作家として必要なことなのかもしれない
と、思うようになったのだとか。
そして、2017年に著書「さよならの力 大人の流儀7」を出版。
最愛の妻・夏目雅子さんを失った悲しみや、その後について綴られています。
夏目雅子さんへの思いを綴った著書を出版することは、伊集院静さんにとっても一つの区切りになったのかもしれません。
伊集院静は女優・篠ひろ子と再々婚していた!
1992年8月7日、当時44歳だった伊集院静さんは、その後生涯を共にすることとなる俳優・篠ひろ子(しのひろこ)さんと再々婚。
2人は、夏目雅子さんを偲ぶ会で、夏目雅子さんの兄・小達一雄さんの妻で元キャンディースの田中好子(たなかよしこ)さんを介して知り合ったのだそう。
夏目雅子さんと篠ひろ子さんは、本当の姉妹のように親しい間柄だったのだとか。
伊集院静さんは1992年7月15日、「受け月」で直木賞を受賞し、夏目雅子さんの7回忌が済むのを待って篠ひろ子さんとの結婚を決意。
プロポーズの言葉は、
僕の生まれたところを見に来ませんか
だったそうです。
作家だけあって、なんだか言葉に情緒がありますね・・・!
結婚後、篠ひろ子さんは実質俳優業から引退し、2人は篠ひろ子さんの地元・宮城県仙台市へ移住。
篠ひろ子さんは趣味の料理を楽しむなど、第2の人生を楽しく過ごしていたのだとか。
ところが、再々婚から31年の月日が経った2023年10月27日、伊集院静さんは肝内胆管がんとの診断を受け、執筆活動を休止。
その約1か月後の同年11月24日に、73歳で亡くなりました。
伊集院静さんの訃報に際し、篠ひろ子さんは、
自由気ままに生きた人生でした。人が好きで、きっと皆様に会いたかったはずですが、強がりを言って誰にも会わずに逝ってしまった主人のわがままをどうかお許しください。最期まで自分の生き方を貫き通した人生でした。
と、伊集院静さんが最後の最後まで、自分らしく生きたことを明かしています。
73年と決して長くはない生涯でしたが、伊集院静さんの人生の密度は誰よりも濃かったと言えるでしょう。
伊集院静の一番はじめの妻はどんな人?
伊集院静さんの1人目の妻について調べてみました!
伊集院静の1人目の妻は、伊集院静のことをずっと褒めていた!
伊集院静さんは立教大学文学部卒業後、広告代理店の「シマ・クリエイティブハウス」へ入社。
1人目の妻と結婚をしたのは、その会社員時代だったそうです。
1人目の妻の詳細な情報や顔写真などは公表されていません。
結婚時期も不明ですが、
1978年、第二子となる女の子が誕生
1980年、1人目の妻と離婚
1984年、7年間の不倫を経て夏目雅子と再婚
との事実が判明しているため、
大学を卒業した1972年から少なくとも1976年の間には結婚していた
と、考えられます。
また、1人目の妻との間に生まれた姉妹のうち、次女の西山繭子(にしやままゆこ)さんは俳優として活躍されています。
伊集院静と1人目の妻の次女・西山繭子は俳優!
次女で俳優の西山繭子(にしやままゆこ)さん。
きりっとした目元が印象的で綺麗な方ですよね!
次女・西山繭子さんのプロフィールは次の通りです。
出身地…東京都
血液型…A型
身長…165cm
趣味・特技…旅・掃除・裁縫、早起き・バトントワリング
主な出演作品・・・テレビドラマ「愛なんていらねえよ、夏」「瑠璃の島」
次女・西山繭子さんは、主にテレビドラマで活躍されており、映画・CM・舞台などでも幅広く活躍されています。
そんな次女・西山繭子さんは、過去に父親である伊集院静さんについて明かしていました。
次女・西山繭子さんによると、伊集院静さんは、次女・西山繭子さんの出生前に家を出ており、2歳の時に離婚。
次女・西山繭子さんは父親の存在を知らずに育ちますが、幼稚園の時に母親から、
この人がお父さんよ
と、新聞に掲載された伊集院静さんの写真を見せられたのだそう。
母親は伊集院静さんとの離婚後、
保険の外交員として懸命に働き、姉妹を育てた
と、明かされています。
夏目雅子さんと7年にも亘る不倫の末離婚した伊集院静さんと1人目の妻ですが、
お父さん(伊集院静)はハンサムで男らしい
と、姉妹の前では褒めたことしかないのだそう。
普通なら恨みつらみがあってもおかしくはなさそうですが、心からそういった気持ちを持ったことは無かったようです。
伊集院静さんは、実に多くの人から愛され、親しまれた人生だったんですね。
まとめ
今回は伊集院静の前の奥さんは夏目雅子で不倫の末の結婚だった!最初の妻についても調査!
という事で、伊集院静さんの結婚や相手の奥さん、子供ついての記事をお届けしました。
- 伊集院静の再婚相手は「伝説の女優」夏目雅子だった!
- 伊集院静と夏目雅子は、7年間の不倫の末の再婚だった
- 伊集院静の最初の妻は、離婚後も伊集院静をずっと褒めていた!
以上の内容がわかりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。